3月10日の祈祷会

 祈りで集う祈祷会   2021年 3月10日(水) 11:00/19:15


祈り会の時間(11:00/19:15)に、祈りの内に共に集い、御言葉を聴きましょう。

沈 黙

祈 祷 憐れみ深い天の父、あなたの御名をほめたたえます。
    主よ、わたしたちは今、共に、
     それぞれの場にあって、あなたの御言葉に耳を傾けます。
    主よ、どうぞお語りください。
    主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖 書  ヨハネによる福音書 19:17-24                  
1.聖書を読む。(可能ならば音読しましょう。)
2.御言葉を味わう。(沈黙のうちに御言葉を聴きましょう)。
3.御言葉の真理に耳を傾ける。
  (以下の問いに導かれ、御言葉の真理へと向かいましょう。)
 
・ヨハネによる福音書では、他の福音書の伝える「キレネ人シモン」の話が省略されています(マルコ15:21等、参照)。また主の姿を「十字架を背負わされ」ではなく「自ら十字架を背負い」と表現しています。それはなぜだと思いますか。ヨハネが描写するイエスの御姿を思い描きながら考えてみましょう。
・ピラトの書いた罪状書きには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書かれていました。イエスが王であることについて、これまでどのようなことが語られてきたか、思い起こしてみましょう(特に18:33以下)。
・この罪状書きがことさらに「ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた」(20節)とヨハネは記しています。それはなぜだと思いますか。(12:32参照)
・23節以下には、兵士たちがイエスの服を分け合い、下着を得るためにくじ引きをしている姿が描かれています。その姿についてどう思いますか。
・くじ引きにしたのは聖書の言葉が実現するためであったと記されています。そこに引用されているのは詩編22:19です。詩編22編全体を読んで、あらためてこの場面を読んでみてください。そこに何が見えてきますか。

黙 想
王である御方が自ら十字架を背負われ、その十字架にかけられました。その王のもとに、御国の民として異邦人であるわたしたちも集められていることについて思い巡らしましょう。それはわたしたちの教会生活にどのような意味を持ちますか。
   
祈 祷
この御方を王とする王国に生きることが何を意味するのか悟ることができるように。また真にこの御方を王として生きることができるように祈りましょう。


執り成しの祈り